日本三大銀山の一つといわれた半田銀山坑口の一つ、旧半田銀山二階平坑口跡
出羽から諸大名の参勤交代、御城米の輸送に用いられた、旧羽州街道小坂峠
福島県中通り地方では最大の中期古墳、塚野目第1号墳
和鏡「洲浜双鳥門強文鏡」が出土した古墳大中期の円墳「堰下古墳」
「伊達兵部少輔成宗之墓」と刻まれた、伊達家12代伊達成宗の墓
伊達家十二代伊達成宗(だて・しげむね 1435~1487?)の墓です。「伊達兵部少輔成宗之墓」と刻まれた墓があります。
伊達成宗は、晩年梁川城から小坂の小屋館に隠居しました。その近くの寺家の地に成宗の菩提寺「五峰山松音寺」が建立されたといわれています。
源義経が平泉に下向する際、腰を掛けたとの伝説が残る、義経の腰掛松
縄文時代中期に人々が暮らした集落遺跡、岩淵遺跡
古墳時代終末期の円墳4基からなる森山古墳群の一つ、森山第4号墳
奥州合戦の功績により、伊達地域を与えられた伊達氏初代当主「朝宗」の婦人の墓
石母田供養塔は、先祖の追善供養に建立した板碑で、梵字と功徳文が刻まれています
源頼朝率いる鎌倉軍を迎え撃つため、藤原泰衡の奥州軍が築いた、阿津賀志山防塁
源義経に仕えた弁慶が硯として用いたといわれる、弁慶の硯石
阿津賀志山の中腹から山腹にかけて120体が群立する、阿津賀志山三十三観音八十八大師画像碑群
重厚なつくりとアーチ構造が魅力的な近代化遺産、貝田姥神沢旧鉄道レンガ橋
芭蕉も「奥の細道」で険しい道のりを記している、旧奥州道中国見峠 長坂跡
軍事・交通の要衝であった旧奥州街道貝田宿の町尻に置かれた関所跡、貝田口留番所跡
泰衡軍が頼朝軍を迎撃するために築いた3.2Kmにも及ぶ、阿津賀志山防塁 下二重堀地区
源頼朝の本陣が置かれたとの伝説が残る、鎌倉から室町時代の平山城「藤田城跡」